指導者はどこまで関わるか?

ラクロスはもはや学生スポーツではない 

OB総会がありました

2月、岩手大学ラクロス部男子のOB総会があり、およそ30人ほどのOBが参加してくれました。

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このOB総会、実はおととしに初めて開催して今回で3回目になります。

やはり回を重ねるごとに徐々にやる意味が出てきたなぁと僕は感じています。

まぁ現役の部員達からすれば「なんでこんな会をやる必要があるの?」と思っている人はたくさんいるはずです…。自分達よりはるか上の世代と話すのは抵抗があるし、面白さを感じないかもしれません。でもこのような場に慣れることが社会に出た時に必ず役に立ちます。

緊張してOBと関われない現役部員たちを見ると、まだまだ子供だなぁと可愛く思えます。かくいう僕も現役時代はOB総会嫌だなぁと思っていたガキンチョでしたw

 

ちなみに岩手大学ではOB総会の前に主将会というのも行っています。主将会とは、歴代の主将や代表者が現役の幹部陣とミーティングを行う場です。

どんな運営をしているのか?

今シーズンの目標とそれに対する具体的な取り組みは?

などなど、現役から歴代主将達にチームの現状を伝えることでアドバイスをもらうことを目的としています。技術的なことも話し合われますが、どちらかというと「チーム作りをどうすべきか」という話し合いがメインになっています。

OB総会をやるきっかけ

OBと現役の隔絶

OB総会はおととしに初めて開催されましたが、それまではOBとの関わりはほぼゼロでした。東北地区の他の大学は毎年のようにOB総会をやっているのに岩手大学はそれがない。そもそもどんなOBがいて、いつ創部したのかもあやふや。岩手大学はそんな状態でラクロス部が存続していたのです。

僕はこれはとても大きな問題だと感じていました。OBとの関わりがないということは、伝統が継承されないだけでなく、支援も受けられないということです。その結果、残された部員達は毎年毎年ゼロからチーム作りをせざるをえません。どうやってチームを作っていったらいいんだろうという試行錯誤を繰り返し、ようやくまとまりかけたときにリーグ戦終了なんてことも起こりえます。

「これを変えよう!OBは現役に支援すべきだ!」

と声をあげてくれた若いOBもいました。が、これがなかなかうまくまとまりません。なぜなら、創部の世代、リーグ戦に初めて出場した世代、その他サークルから部に昇格させた世代…、そんな偉大な先輩達を差し置いて、若い世代が先頭に立ってOB会を設立してもいいものかという葛藤があったからです。立派な社会人になって周りに配慮することを覚えてしまった弊害とも言えます(The 忖度)

 

と、そんなこんなで毎年毎年OBと現役が交わることがないままシーズンが過ぎていきました。そして支援を受けられないまま現役はどんどん自分達の殻に閉じこもって活動をしていきます。ついにはOBなんてどうでもいいという考えまで生まれてしまいました。大変悲しい状況でした。

コーチとしての葛藤

このような状況の中、僕はチームを強くするためにはやはりOBとの関わりは絶対に必要だと考え、OBが集まる会にちょこっと顔を出したり、現役部員達に何かOBに対して要望はないかと聞きまわったりもしました。しかし一向に話は進みません。かといって僕がしゃしゃり出て何とかするのもおかしな話かなとも思っていました。そもそも僕は岩手大学OBでもない部外者ですし、教え子とはいえOBもいい大人です。任せたいという思いもありました。結局OBだけでなく僕自身も関わるべきか否か葛藤していたのです。

悩んだ末の強行策

「OBとのつながりを強くするために交流の場を作りたい」

その思いをかなえるために一部のOBや現役部員にお願いしてもなかなかうまくいかない。僕はこの進展しない状況が面倒くさくなってきました。そして「どうせおれは部外者なんだからおれが音頭取っちゃえ!」という考えにいたり、当時の幹部陣に「"現役主催"でOB総会をやろう!OBを招待しよう!」とけしかけて初めてのOB総会が開かれることになったのです。

当然賛否はあったでしょう。望んでいない人もいたでしょう。そして何より、OBでもないコーチが強引に進めてOB総会を開催したことで「何勝手なことをやってんだ」と不満に思うOBもいたはずです。聞くところによると、そのせいで離れてしまったOBもいたそうです。

(久々にコーチ1年目のときの感じを思い出しました。。あのときも自分の思うがまま強引に事を進めたので)

ただ暴走と言われてもいいのでOB総会をやるメリットを優先させました。少なくとも、現役の幹部からは「OBの話を聞けてとても参考になった」という感想をもらいました。それだけでも大変有意義な会だったのは間違いありません。

 

OB総会をやってみて

現役部員は緊張w

今回で3回目になるOB総会ですが、交流会時はやはり現役部員は現役部員でかたまって飲むという構図になってしまいました。緊張してOBと一言も話さなかった部員もいたと思います。当然と言えば当然ですが、残念なのが、その状況を見てOBから歩み寄って話しをする人が少ないということです。先輩なら器の大きさを見せて後輩と交流すべく話しかけに行ってほしいなと思ってしまいました。 

歩み寄らないスタンス

先輩が後輩に話しかけにいかない、OBが現役と交流しようとしない、OB同士で話し合ってもOB総会が実現しない、これらはほぼ全てが「歩み寄る行動ができない

ために起こっています。つまり、年長者が「下世代の行動待ち」をしているのです。

 

例えば、会議の場面を想定すると、うまく回らない会議は話し手と聞き手しかいません。ここにファシリテーターがいると誰かに質問を投げかけたり、発言を促すように話しを振ってあげたりできるので、聞き手側の発言が増え、活発な会議になります。カチッとした会議はこのファシリテーターが当然いますが、フランクな話し合いやミーティングではファシリテーターがいないことが多いので、このファシリテーター役を上司や年長者が担ってあげることが大事です。

これが僕が考える「歩み寄り」です。

これができないために会議参加者の発言や交流のチャンスを逃しているのはとてももったいないことです。(そもそも会議に参加するなら発言しろというごもっともな意見もあると思いますが、そこは一旦堪えて器の大きさを見せて歩み寄ろうぜという話です)

 

そして、この歩み寄る行動は、指導者としても大事だと思うのが僕の考えです。

いきなり話は飛びますが、ここからは指導スタンスについて僕の個人的な意見をお話ししたいと思います。

「考えさせる」理論が嫌い

歩み寄らないスタンスの指導でよくあるのが、「考えさせる理論」です。

僕はこの「考えさせる理論」が嫌いです。

この理論はどんなことかというと、

例えば、

「あいつらが自分で考えて動くまでおれは何も教えない」

と言い放ち、質問にも答えず放置スタンスをとることです。

 

他にも、

「あいつらがやりたいことを言ってこないからおれは何もやらない」

「あいつらはおれに挨拶がないからダメだ」

みたいなのも同じです。

 

このような指導者や年長者はどうしても好きになれません。

自分を神かなんかと勘違いしているイタイ人のように思ってしまいます。

シンプルに「器が小さい」です。

指導者だったり年長者であるならば、下の人間を困らせて自分の地位を再確認するのではなく、どのようにすればいい方向へ導けるか考えるべきです。

 

例えば、「自分で考えてほしい」なら

「このメニューをやるが、自分達だけで考えていい練習になるように進めること」

といった具合に「自分で考えてほしい」という意図を伝えて考えさせればいいだけです。

「やりたいことを言ってこない」なら、「やりたいことを聞けばいい」だけです。その上でもっと発信してほしいならその旨を伝えればいいだけです。

「いやいや、選手の自主性がなきゃダメでしょ」という意見もあると思いますが、そういう積極的な選手以外も拾って伸ばしていくことでチームはより成長するので!(とは言え、おとなしいどころか"無音"の選手もたまにいるのでそういう選手はなかなか拾えないのですがw)

 結局のところ、この「考えさせる理論」は指導者や年長者の手抜きです。選手や下の人間に歩み寄る行動を起こせないくせに、それを正当化するような逃げの行動です。ちょっと重い雰囲気を与えて指導感を出しているだけで実は中身はスカスカなことが多いです。

ちなみに、このような指導者は「スポーツは人間教育の場でもある」みたいなことを言いがちです。

僕の考えでは、指導者はチームや個人を強くするために必要だと思うことを伝えるだけでいいと思っています。軸はあくまで「強くするため」です。その軸をもとに社会性や人間性といった部分にアプローチする手法もありというだけで、それが目的となってはいけません。というわけで、コーチングを「スポーツではなく人間教育を目的としている…」みたいな崇高なテーマに置き換えて偉そうに語っちゃう指導者は全く信頼できません。指導力の底が知れています。

逆にしゃべりすぎもダメ

考えさせるばかりではダメと言いましたが、逆にしゃべりすぎや伝えすぎも良くありません。

よくある悪い例が、

「こういうことも考えて行動しろ」

「それとは別にこういうことも考えられるからな」

「例外になるかもしれないがこんなことも頭の片隅に入れておけ」

「これは一応用意しておいたほうがいい」

みたいに、様々なパターンをいっぱい喋って、そのどれかのパターンが当てはまったときに

「ほら!おれの言った通りやろ?」

というドヤ感満載のジコマン指導です。

 

「そりゃどれかは当たるわ」

と突っ込まざるを得ません。

 

確かに、指導をしているとあれもこれも教えたくなって何でもかんでも伝えてしまうことがあります。しかし、教えられる側はそんなにたくさんのことを処理できません。そもそも、それらを処理できる力があれば指導を仰ぐ必要もありません。

 

伝えなさ過ぎず、伝え過ぎず…

このバランスはとても難しいですが、常に俯瞰して自分を見ることが指導者としては大切なのかもしれません。

 

「関わり過ぎ」についてはどうか?

伝える伝えないではなく、今度は「関わり方」について考えてみます。つまり、指導者として「チームにどこまで関わるか」です。

 

これが今回のメインの話です。

 

先程僕はOB総会開催に思いっきり関わった話しをしましたが、一般的に見たら指導者としては「関わり過ぎ」です。

ただ、関わり過ぎなときはそれ相応の大きな変化が起こっています。

逆に言えば、大きな変化を起こすためには多方面に気を遣わなければいけないので、その気遣いが関わり過ぎなのだと思います。

 

ややこしい話になってきましたが、結局のところ、チームに大きな変化を起こしたければ指導者の立場を越えて色んなことにどんどん首を突っ込むべきというのが僕の考えです。

 

ちなみに、大きな変化を起こしたいチームはトップオブトップを除きほとんどすべてのチームのはずです。トップになれなかったチームは何か変化を起こして前の年より良いものを生みださなければいけないので。そんなチームの指導者はとにかくチームの色んなことに関わっていくべきです。

 

指導者は変化を起こしているか?

「今までとは違う変化を起こしたい」

というのは、ほぼすべてのチームが考えていることですが、日本のチームはこの変化を「選手自身」が作っています。つまり、選手自身が考えて行動してチームを作っているということです。そして、それを高いレベルでできるチームが強いチームです。

多くの人に

「なんで偏差値の高い大学がラクロスも強いのか?」

と聞かれがちですが、その答えは

「選手自身のマネジメント力が高いから」

です。

偏差値の高い大学は個人のレベルアップを考えるとともに、「チーム」についてもより深く高いレベルで考えています。逆にイマイチ結果を残せないチームは、選手が個人のことばかり考え、チームのことをより深く考えていません。(僕の主観です)

これが今のラクロスの現状で、まさに「学生スポーツ」と言われる所以です。

 

しかし、最近はラクロス経験者が増え「指導者」も増えてきました。ラクロス協会もこの指導者の育成に力を入れているように、今まで選手たちが自分たちで考えて作り上げていたチームにどんどん指導者が加わっています。

これからはこの指導者たちがチームに大きな影響と変化を与えていく時代が来るのだと思います。

 

そうなるとラクロスはもはや学生スポーツではありません。

学生中心で考えて学んでプレーしていたチームに指導者が加わり、「偏差値と強さが比例」という構図がどんどん覆るかもしれません。

 

「ラクロスは学生スポーツ」というのはラクロスの良い特徴のひとつだったかもしれません。しかし、今後ラクロスの競技レベルを上げたいと考えるならば、指導者が加わって学生スポーツから脱却していく必要があります。

指導者次第で化けるチームはたくさんあります。

ラクロス2,3年の選手が考えるレベルよりも、10年以上の指導者が考えるレベルのほうが絶対に高いのだから、指導者がゴールデンルートをしっかり道案内してあげれば地方からでもどんどん大きな変化を生み出せるはずです。

地方にだってすごい素質を持った選手はいっぱいいます。それが環境やチームとしての結果で日の目を見ることなく埋もれていくのは悔しすぎます。

そんな選手たちのためにも、指導者としてより成長し、岩手大学が注目してもらえるように結果を追い求めなければいけないとあらためて思っています。